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【からだキレイ史】古代都市の公衆浴場

2016年11月10日

【からだキレイ史】古代都市の公衆浴場

さまざまな古代文明が大河の流域から興ったように、水は文明の発達になくてはならないものでした。清潔好きといわれる古代エジプト人はナイル川で心身を清め、身分の高い人々は1日に3回も入浴したそうです。古代都市にはやがて沐浴のための公衆浴場が造られるようになり、紀元前2500~3000年頃に栄えたモヘンジョ・ダロには、壮大な公衆浴場が存在したことがわかっています。今回は、いろいろな古代都市で発達した公衆浴場についてご紹介します。

バスタイムを鐘で知らせたローマの大浴場

早くから沐浴を取り入れたローマ人にとって、浴場が身近な存在になったのは、紀元前312年にアッピア水道が完成してからでした。ネロやカラカラといった歴代の皇帝たちが競って大浴場を造った結果、コンスタンテイヌス帝時代にはローマだけでも850の公衆浴場があったそうです。

公衆浴場に入浴できる時間は決まっており、時刻になると鐘を鳴らして市民に知らせていました。浴場は基本的に男女別で、男女混浴が許された後に禁止されましたが、あまり効果はありませんでした。日本の江戸時代の銭湯事情と似ていますね。

▼参考記事:【からだキレイ史】江戸時代の銭湯は社交サロン

火山灰の下から見つかったポンペイ遺跡の豪華浴場

イタリア南部のナポリからほど近いところに存在していた古代都市ポンペイは、79年に起こったベスビオ火山の噴火によって、火山灰の下に街ごと埋没。18世紀から発掘が始まりました。

水道管が張りめぐらされていた街からは、3つの公衆浴場の遺跡が発見されました。石の壁と大理石の柱に囲まれた浴場は、神殿につぐ広さ。冷浴室、微温浴室、温浴室が備えられ、炉を中心にして男湯と女湯に分けられていました。別の公衆浴場は、青銅の浴槽を地下室から加温する設備が整うなど、とても充実した入浴環境だったことがうかがえます。

敬遠された公衆浴場が十字軍のおかげで復活!

ローマが滅亡した後のヨーロッパでは、公衆浴場は風紀を乱す存在として敬遠されていました。キリスト教では沐浴が禁じられているわけではありませんでしたが、禁欲主義を理由に沐浴を拒否する宗教者も現れました。

そんなヨーロッパに沐浴の習慣を再びもたらしたのは、イスラム諸国から戻ってきた十字軍の騎士でした。彼らは遠征先で楽しんだ蒸し風呂をヨーロッパで流行させ、それにより公衆浴場が娯楽の場として復活しました。しかし、14世紀半ばにペストが流行したことで浴場は閉鎖され、人々の関心は温泉へと移ります。

参考文献:落合茂(1973)『“洗う”文化史話』花王石鹸資料室編,花王石鹸
協力:花王ミュージアム

 
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