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【からだキレイ史】古今東西「歯みがき」のお話

2016年11月10日

【からだキレイ史】古今東西「歯みがき」のお話

昔は入浴が宗教的な儀式の一環だったように、口の中を清めることにも同様の意味合いがありました。やがて楊枝や歯みがき粉などが生み出され、エチケットや虫歯予防のための生活習慣へと変わります。今回は、歯みがき粉や歯をみがく道具など、歯みがきにまつわる歴史をご紹介します。(画像は昔の歯みがきの道具)

古代エジプトの歯みがき粉のレシピはパピルスに記載

歯みがき粉の歴史は古く、なんと紀元前1550年頃の古代エジプトのパピルスに処方を見つけることができます。材料は緑青(*1)や緑粘土など。粉状と練り状のものが存在しました。練り状の歯みがき粉の材料には蜜も挙げられているので、ちょっぴり甘かったのかもしれませんね。

時代が進むにつれて材料が変わり、動物の角や卵の殻、貝殻などを焼いてできた粉末が中心に。紀元前1世紀頃のローマ帝国初期の文献には、シカの角やオオカミの頭蓋骨の灰などが記されています。なお、紀元前700年ごろのアッシリア人は、指先で歯をこすっていたそうです。

*1 青緑色をした銅の錆

あの平賀源内も認めた房州砂が、江戸時代の歯みがき粉の材料

日本でも人々は古くから歯をみがいてきました。古墳から発見された歯の摩耗度から、楊枝や歯みがき粉を使っていたと推測されています。楊枝は菅原道真の歌にも登場します。楊枝にはさまざまな種類があり、中央を薄く削った舌掃除用の房楊枝や、歯間を磨くための小楊枝など、用途に合わせて使い分けていました。

歯みがき粉の製造法が初めて登場するのは、江戸時代の記録(*2)。当時は房州砂(ぼうしゅうずな)(*3)をベースに、竜脳(*4)や丁子(ちょうじ)(*5)などで香りづけしていたようです。房州砂は研磨剤として最上とされていたらしく、他の材料での製造を試みたものの、「房州砂に及ばず、故にみがき粉は江戸にまさるものなし」とパッケージに記した製造業者もいました。このコピーを書いたのは、発明家として名高いあの平賀源内です。

明治時代になると、欧米式の処方を取り入れた歯みがき粉が登場し、炭酸カルシウムや炭酸マグネシウムなどが主原料になりました。

*2 大郷良則(信斎)による『道聴塗説』の<歯磨の角力>の項
*3 現在の千葉県館山市あたりから産出された砂。研磨剤などに用いられる
*4 リュウノウコウという木の樹脂などを加工したもの。樟脳に似た芳香がある
*5 丁香(ちょうこう)やクローブの別名でも知られている

毎日使うお歯黒グッズは大切な嫁入り道具

日本女性の歯の歴史を語る上で欠かせないのが、「お歯黒」です。時代によっては男性がお歯黒をすることもありましたが、江戸時代には女性だけの習慣でした。

お歯黒は、五倍子粉(ふしのこ)をお歯黒水で溶いて歯を染めます。五倍子粉はウルシ科の木にできる突起が原料で、タンニンを含んでいます。さらに、お歯黒水の原料は、焼いた古釘や鉄くずに粥や酒を混ぜて発酵させたもの。女性たちは、強烈な臭いと渋みを感じながらお歯黒をつけていたのです。

お歯黒の後にはうがいが欠かせませんでしたが、そのときに使っていたのが「うがい茶碗」や「耳だらい」でした。その他にも、お歯黒水を入れておく「お歯黒壺」といった器などが必要で、女性が毎日使うこれらのお歯黒道具一式は、大切な嫁入り道具の一つでした。

参考文献:落合茂(1973)『“洗う”文化史話』花王石鹸資料室編,花王石鹸
協力:花王ミュージアム

 
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