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【からだキレイ史】江戸時代の銭湯は社交サロン よく見られている記事

2016年11月10日

【からだキレイ史】江戸時代の銭湯は社交サロン

かつては寺院などが行っていた“施浴(せよく)” は、鎌倉時代や室町時代になると、権力者や裕福な人の屋敷でも行われるようになり、招いた人に食事やお酒をふるまうなど、娯楽的な要素も加わりました(*1)。入浴は庶民の日常にも徐々に浸透し、江戸時代には湯船や桶に入れた井戸水を沸かしてつかる(*2)家庭も増えます。また、文化年間(*3)の江戸の銭湯は600軒にものぼりました。今回は、当時の人々が集った銭湯にスポットを当ててみましょう。(画像は江戸時代の銭湯を再現したミニチュア模型)

*1 このように、人を招いて入浴させ、浴中や浴後に酒や料理を供することを「風呂ふるまい」と呼んだ
*2 井戸の水を意味する井水(セイスイ)を用いたこの入浴法は、「水(すい)風呂」が転じて「据え(すえ)風呂」と呼ばれた
*3 1804~1818年

のれんをくぐれば無礼講!? 銭湯で楽しくコミュニケーション

「銭湯」という文字が初めて登場するのは、鎌倉時代の記録(*4)です。1591年、江戸に最初にできた銭湯は銭瓶橋(ぜにがめばし)(*5)のほとりにありました。この銭湯は蒸し風呂式でしたが、お湯につかるスタイルの銭湯が徐々に増えていきます。

当時は「入り込み(いりこみ)湯」と呼ばれる男女混浴の銭湯が多く、禁止令がたびたび出されても根絶することはなく、明治時代になっても残っていました。老若男女が身分の別なく交流する銭湯は、世間話や情報交換を楽しむ貴重な社交の場。「ぬる湯好きあつ湯好きにて風呂はもめ」「念のため湯屋(ゆうや)で仲人見合いさせ」「銭湯で不沙汰の義理を流し合い(*6)」という川柳からは、銭湯に集う人々の生き生きとした様子が伝わってきます。

ちなみに江戸時代初期までは、男性は下帯、女性は湯文字(湯巻)という木綿の下着をつけて入浴しており、裸での入浴は“あるまじきこと”とされていました。下着をつける習慣がなくなり、文字通り“裸の付き合い”をするようになったのは、中期以降だったそうです。

*4 祇園社内の雲居寺境内に銭湯が設けられたという記述が『祇園執行日記』にある
*5 現在の大手町二丁目界隈
*6 出典:落合茂(1993)『洗浄風俗史話』文芸復興社

熱くないの?開放的すぎる!外国人が驚いた日本の銭湯文化

江戸時代の日本人にとっては当たり前だった銭湯も、日本を訪れた外国人から見れば、とても奇妙な習慣がはびこる空間でした。下田に来航したペリー提督は、人々が男女一緒に裸で入浴しているのに戸惑いを覚え、日本人の道徳性は評価しつつも、みだらであると感じたようです。

あるオランダ海軍医は、日本人が頻繁に入浴することや熱いお湯を好むこと、男女が混浴するだけでなく裸で帰宅することにも驚愕。その他にも、銭湯の外から丸見えの裸の人々や、湯上りに道で服を着る若い女性などに、驚いた外国人の記録が残っています。熱い湯に入って肌が赤くなった日本人のことは「ゆでた海老」や「蟹」などに例えています。

参考文献:落合茂(1973)『“洗う”文化史話』花王石鹸資料室編,花王石鹸
協力:花王ミュージアム

 
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